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高野山散策メモ

高野山散策メモ_d0049152_9495539.jpg檀上伽藍
伽藍は、奥の院と共に高野山の二大聖地です。
東塔
大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建された。当初は上皇等身の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として奉安され、不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王の二体も脇侍(きょうじ)としてまつられた。
天保14年(1843年)に焼失、昭和59年(1984年)再建。
高野山散策メモ_d0049152_9543142.jpg大会堂(だいえどう)
鳥羽法王の皇女・五辻斎院(ごつじさいいん)内親王が、父帝の追福のため建立された。
もとは別の場所に建立されていたが、長日不断談義(ふだんだんぎ)の学堂として壇場に移し、蓮華乗院(れんげじょういん)と称するようになった。現在では法会執行の際の集会所的役割を担う。
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂で、本尊は阿弥陀如来が奉安され、脇侍(きょうじ)として観世音菩薩、勢至(せいし)菩薩がともにまつられている。高野山散策メモ_d0049152_10225692.jpg

国宝 不動堂
建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女・八條女院(はちじょうにょいん)内親王が発願され、行勝(ぎょうしょう)上人によって建立された。
現在の建物は14世紀前半に再建。お堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠(こうしょう)がそれぞれの随意に造ったためと伝えられている。高野山散策メモ_d0049152_955145.jpg

大塔(だいとう)
とても大きくて迫力のある塔です。
弘法大師、真然大徳(だいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられる。
この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼ばれている。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されている。
北側に安置されている二体の仏様は多聞天(たもんてん)と持国天(じこくてん)で、江戸時代の作といわれている。
高野山散策メモ_d0049152_10551174.jpg三鈷の松(さんこのまつ)
『弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。
後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。
早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、お大師さまはこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。
その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。』
現在では、参詣者が縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りにされています。
by nori_bura | 2011-09-13 09:48 | 関西ぶらり(和歌山)
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