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名古屋城へ④(名古屋市)

御殿椿
天守閣すぐ東、不明門の南にある。江戸時代から、本丸御殿南の庭にあった尾張藩秘蔵の銘椿で、白八重の大輪の花を咲かせる。
原木は昭和20年の空襲で消失したかと思われましたが、焼けた幹の下から再び新芽が伸び復活した。今ここにある木は昭和30年頃に原木から接ぎ木育成したもの。
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名古屋城へ④(名古屋市)_d0049152_922441.jpg不明門
天守閣の東から北へ抜ける門。多門塀の下をくぐる埋門で、本丸御殿の大奥へ通ずる秘門であり、常に鍵が厳重に施され、別名を「あかずの門」といった。塀は外部の軒桁を忍返しにした「剣塀」である。昭和20年5月14日、空襲で天守閣などとともに消失、昭和53年3月、原形の通りに再建した。名古屋城へ④(名古屋市)_d0049152_9225285.jpg

天守閣基礎石
天守閣の北側、内堀の外側にあります。
旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石で、天守閣再建のとき、ここに移して再現された。



名古屋城へ④(名古屋市)_d0049152_9231516.jpg石棺式石室
島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室で、本来は床石があって、手前に羨道(石室への通路)を備えていた。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室である。個人により名古屋市に寄贈された物。
(基礎石の奥にあります。)
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金の鯱(しゃちほこ)
これは、売店前に置かれているレプリカ。
大天守閣5階では、実物大の金鯱に乗って写真を撮れます。地下1階にも鯱の展示があり、鯱は人気物です。
『昔、日本や中国では火災が起きると消化する方法が一切なく、全てを焼き尽くす火災は人々から大変恐れられていました。そこで、剣鉾のような鋭いひれを持ち、虎のように凶暴で鯨まで切り裂いて食べてしまい、さらに泳げば大波を立てて雨を降らせると信じられていた「鯱」は高層建築の天守閣にうってつけの飾りでした。また、干ばつに苦しまないように天に一番近い建物の最上部に水に縁のあるものを置いたともいわれています。 』名古屋城へ④(名古屋市)_d0049152_9245381.jpg
内堀の鹿
名古屋城に鹿がいるとは知らなかった。
江戸時代から放し飼いされているのだそうです。
1970年代に56頭いた鹿が、現在はわずか2頭にまで減っています。





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名古屋おもてなし武将隊がいた。

「武将都市ナゴヤ」をPRするために結成された名古屋の観光PR部隊。
by nori_bura | 2013-05-13 13:05 | 旅行・愛知県
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