カテゴリ:旅行・広島県( 40 )

鞆の浦散散策⑤・沼名前(ぬなくま)神社へ(福山市)

d0049152_10303746.jpgお寺が連なるようにある界隈も歩きました。


南禅坊の山門。
古くて趣があり目立ちました。





d0049152_10384045.jpgささやき橋
ポコッとささやかに盛り上がる部分です。
ここには1500年以上も昔の悲恋の伝説があるそうです。

沼名前神社
鞆祇園宮(ともぎおんぐう)、「祇園さん」とも呼ばれる。

平安時代の延喜式にも記載されている由緒正しい神社です。
海上安全に効験のある大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る「渡守(わたす)神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する「祇園社」の2つの神社が明治時代に統合され、『沼名前神社』となりました。
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境内には秀吉愛用の能舞台があります。かつて京都伏見城にあったものを、福山城主・水野勝成が二代将軍・徳川秀忠より拝領し、それを沼名前神社に寄進したとのこと。 また、家康建造とも伝えられています。簡単に分解して移動できる組み立て様式の能舞台です。(重要文化財)

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by nori_bura | 2014-10-03 10:14 | 旅行・広島県

鞆の浦散策④・医王寺へ(福山市)

医王寺への坂道でも映画『潔く柔く』のロケが行われた。
カンナとハルタが高校へ通っていた石畳の坂道で、相合傘するシーン。
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d0049152_150227.jpg鞆の浦は、スタジオジブリ・宮崎駿監督の作品「崖の上のポニョ」の舞台になったとして知られています。

そう思うと、途中で見かけた赤い屋根のおウチもそう見えてしまいます。


鞆の浦を一望する景色が作品の中で登場する風景に似ているそうです。


医王寺の境内からの眺めも素晴らしいです。
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境内で
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by nori_bura | 2014-10-02 10:00 | 旅行・広島県

鞆の浦散策③・鞆港(福山市)

古くから潮待ちの港として栄えた鞆の浦の代表的な風景です。
雁木(がんぎ) 船着場の階段状の部分。潮の満ち干や河川の流量変化による水面の上下に係わらず昇降や荷役が出来ます。
いろは丸展示館 白い建物。備後灘で1867年5月26日に起こったいろは丸と明光丸の衝突事件の概要を展示する博物館です。「大蔵」と呼ばれる江戸時代築の土蔵(国の登録有形文化財)を利用しています。
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夜の風景です
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by nori_bura | 2014-10-01 10:20 | 旅行・広島県

鞆の浦散策②・路地歩き(福山市)

d0049152_98783.jpg石畳の路地を歩きました。
途中、坂本龍馬の扮装で歩く人とすれ違いました。
7人のボランティアガイド「鞆龍馬おもてなし隊」だそうです。




d0049152_984577.jpg鞆の津の商家(福山市重要文化財)
母屋・土蔵とも、江戸末期の商家の建物です。
母屋の内部は通り庭形式の三間取りで、店の間・中の間・奥の間の三室を配している。
土蔵は、和釘を使用し、幕末に流行した登り梁造り。
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保命酒のお店に立ち寄り。
鞆の浦には現在4件あります。
保命酒(ほうめいしゅ)は、万治2年(1659年)から造られている鞆町名産の薬味酒です。
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太田家住宅
(重要文化財)
酒造業で繁栄した商家の建物で、主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなります。

1863年8月23日、尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は公武d0049152_11175820.jpg合体派に追われ長州に下る途中、鞆の浦に寄港。ここ旧「保命酒屋」に立ち寄りました。

2012年9月5日、ハリウッド映画『ウルヴァリン』の撮影が太田家住宅周辺で行われました。
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by nori_bura | 2014-09-30 14:40 | 旅行・広島県

鞆の浦散策・史跡 対潮楼へ(福山市)

mapを見ながら散策開始。龍馬観音があり、その上の建物に向かいました。
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天暦年間(947〜957年)頃に空也による創建と伝えられる真言宗の寺院、海岸山千手院福禅寺にあります。本堂に隣接する客殿・対潮楼は、元禄年間(1690年頃)に建てられたものです。
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ここは、江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場となりました。
座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。1748年、洪景海は「対潮楼」の書を残しています。
いろは丸沈没事件の際、海援隊と紀州藩の交渉の場となりました。
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拝観:8:00~17:00 年中無休
「鞆の浦」一番の観光スポットです。300年も前にこの景色の傍らで交流・交渉事があった。タイムスリップしたようで、何か感動しました。
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by nori_bura | 2014-09-29 14:15 | 旅行・広島県

瀬戸内海国立公園・鞆の浦(福山市)

鞆の浦(とものうら)とは、広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域のことを云うそうです。沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝および国立公園に指定されています。
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d0049152_1401140.jpg鞆地区で最初に見たこの景色はまさに風光明媚!
県道の堤防越しに見える景色は、弁財天福寿堂のある弁天島・右に皇后島・後の大きな仙酔島です。
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福山市営渡船場の2Fのカフェ・その隣の展望スペースからも眺めがいいです。

夜、弁天島のライトアップがありました。
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by nori_bura | 2014-09-28 14:00 | 旅行・広島県

阿伏兎(あぶと)観音へ(福山市沼隈町)

d0049152_1211352.jpg沼隈町能登原の磐台寺を訪れました。
阿伏兎岬にある観音堂が瀬戸内海に面して建つ景色を見るためです。

お寺の入口に受付があります。
7時~17時・無休
料金:100円・小学生50円

d0049152_12194672.jpg客殿(広島県指定重要文化財)
室町時代の建築様式です。
992年 花山法皇により石造十一面観音像を本尊に祀り、付近の航海の安全を祈願するために創建された。
1570年 毛利輝元が堂を再建し整備。
1667年 歴代の備後福山藩主の手厚い保護を受ける。福山藩四代藩主水野勝種により、石垣や鐘楼、回廊を増築し現在に近い姿となる。d0049152_12195964.jpg
観音堂へ。
(重要文化財)
石段を上がって行きます。

岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、瀬戸内海の中でも特に素晴らしい景観として広く知られています。毛利輝元によって創建されました。
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by nori_bura | 2014-09-27 13:15 | 旅行・広島県

国宝 明王院へ(福山市)

愛宕山中腹近くにある中道山円光寺明王院は、真言宗大覚寺派の古刹です。もとは西光山理智院常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基と伝えられています。
三代水野勝貞は常福寺に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、寺号を明王院と改めました。
合併後の明王院は、本山として末寺四十八寺を擁していたといわれます。
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d0049152_8545181.jpg(右上)閻魔堂・十王堂草葺
慶長再興、享保11年(1726)再建。
えんま大王以下十王が祭られています。良いことをした人は天国へ、悪いことをした人は地獄へ、すべて十王によって判断される。地獄行きの人も、地蔵菩薩の化身である閻魔大王によくお願いし、次に観音様に頼めば大慈悲のお力で救われると言われています。
明王院山門 (広島県指定重要文化財)
慶長19年(1614)の再建。創建はさらにさかのぼると思われます。
現在の山門の建築材は新旧二様に分かれ、新様は建物上部の斗供・軒などに、旧様は軸部の柱・腰長押・台輪などに見られる。一部に室町様式の木割を残しています。全体に雄大で豪壮な門です。降棟に龍頭瓦を乗せています。
d0049152_9321148.jpg国宝
明王院五重塔

貞和4年(1348)住持頼秀のとき、一文勧進の少資を積んで造られたことが、伏鉢の陰刻銘からわかっています。
本塔の心柱が一層の天井で止まっており、全国的にも珍しい例です。南北朝時代の代表的和様建築です。
全国の指定文化財塔22基のうち、法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐ5番目の古さを誇り、中世密教寺院における現存唯一の遺例と言われています。
初層内部は絢燗豪華な密教世界が広がり、四方の壁面に描かれた真言八祖行状図、仏壇上の中尊と四天柱三十六尊を合わせた金剛界三十七尊、長押・天井などには唐草文・花鳥・飛天などが極彩色で描かれ、さながら浄土の世界のようです。
表に五大虚空蔵菩薩像図、裏に兜率天曼荼羅図を描いていた仏壇の来迎図は、明治年間皇室に献上され、現在は東京国立博物館に保管されています。
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国宝 明王院本堂
本堂の建立は、昭和37・38年(1962・1963)に実施された解体修理により、内陣蟇股に墨書が発見され、鎌倉時代の元応3年(1321)の建立であることがわかりました。
さらに現本堂の下に、本堂の前身と推定される掘立柱穴が点在する事が、発掘調査によって確認されています。
様式は、全体的に和様の姿をとり、木割や細部には大幅に唐様を採用した折衷様で、外陣の輪垂木天井は極めて珍しい手法です。

明王院鐘楼 (福山市指定重要文化財)
面取り角柱を方形の礎石上で内側に傾斜をつけて建てた、いわゆる四方転びの建て方で、特に各柱を内側に湾曲させているのが特徴です。
建立は棟札により、正保4年(1647)水野宗休(勝成の隠居後の号)の寄進によるものとわかり、鐘は明暦3年(1657)福山三代藩主水野勝貞の寄進によるものです。
江戸時代初期の雄健な手法を示す建造物です。
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by nori_bura | 2014-09-26 12:30 | 旅行・広島県

史跡 福山城跡④(福山市)

JR福山駅に近い石垣の南東面に、月見櫓・鏡櫓が見えます。
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d0049152_2174621.jpg月見櫓
伏見城から移築したもの。
本来は着見櫓のことであるとも言われている。
追手側(南側)も入江方面も展望できる南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていた。
1階南側に石落としがあり、古い建築様式をもっている。2層2階・6間×5間。「唐破風」が用いられ、高覧を備える。
明治初年頃取り壊されたが、昭和41年秋、天守閣とともに外観復元され、現在は貸会場として利用されている。
d0049152_2181446.jpg鏡櫓
月見櫓の北側。
2層2階建てで築城時に建てられたが廃城後間もなくに取り壊された。名称から鏡を収蔵していたと思われるが、往時は北側に天守直下まで多聞櫓が続き、この多聞櫓は本丸御殿と渡り廊下で繋げられていたことから、御殿の倉庫としての役割もあったようである。
昭和48年(1973)市民の寄付により鉄筋コンクリートで再建された。

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by nori_bura | 2014-09-24 11:05 | 旅行・広島県

史跡 福山城跡③(福山市)

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伏見櫓(重要文化財)
現存。
3重3階で初重と2重は総二階造といわれる同規模の構造を持ち、その上に独立した構造の小さな望楼部を乗せる慶長初期の建築様式を残した望楼型の櫓である。
壁仕上げは白漆喰総塗籠で長押形を施している。
桁行8間(約15m)。並の城郭であれば天守に相当する規模を持つ。
慶長6年(1601年)前後に建てられたと推定される伏見城松の丸の東櫓を元和6年(1620年)に移築したもの。
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熊本城宇土櫓と並び現存する最古の櫓のひとつです。









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鐘櫓

一部現存。
福山市指定重要文化財(鐘楼部のみ)。





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棗(なつめ)御門跡
本丸北西。
食い違い虎口。
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by nori_bura | 2014-09-23 11:00 | 旅行・広島県