カテゴリ:  唐津くんち2014( 26 )

唐津くんち見物㉖・曳き込み(唐津市)

d0049152_1401390.jpg
ラストの十四番曳山・七宝丸(江川町)の曳き込み。一番重たい曳山なので大変です。
d0049152_148252.jpg
御旅所を中心にして、左右7台ずつ「ハ」の字に並びました。
d0049152_1484120.jpg
この後、150年祭の「武田信玄の兜」と今年塗り替えをされた「鳳凰丸」から餅まきが行われました。

半日だけでしたが、「唐津くんち」をたくさん楽しみました。WEBで公開されて見物客が増え、混雑が増しているようです。ここの記事も迷惑になっていたら申し訳ないことです。
[PR]
by nori_bura | 2014-12-07 13:15 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物㉕・曳き込み(唐津市)

曳き込み終盤。各町の曳き子と見物人が集まり混雑しています。一段高い所から見物できました。ぼんやりしていたら、巻き込まれて危ない状況です。
d0049152_14433473.jpg
d0049152_14441428.jpg
d0049152_14452193.jpg
d0049152_1450864.jpg

[PR]
by nori_bura | 2014-12-06 12:50 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物㉔・曳き込み(唐津市)

12時頃、西の浜御旅所で1番の赤獅子(刀町)の曳き込みが始まりました。
数トンある曳山の車輪が砂に埋もれてしまうため、力まかせに曳き込みます。
所定の場所に納めるには、最終的にバックで入れる事になります。
右側に留める場合には、一旦左手に前進してから右手に後進されていました。
d0049152_9431438.jpg
近くで見られたら、もっと迫力を感じられたのだろうと思います。砂煙が上がるのだそうです。

More
[PR]
by nori_bura | 2014-12-05 12:00 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物㉓・西の浜御旅所(唐津市)

西の浜という砂浜に、明神台と呼ばれる御旅所があります。
普段は唐津神社に居る神様が、年に一度、氏子町内に出かけて行ってお休みになる場所です。
d0049152_23582868.jpg
d0049152_2358549.jpg
大石大神社の神輿が入られるところでした。
[PR]
by nori_bura | 2014-12-04 11:50 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物㉒・休憩風景(唐津市)

神幸行列は午前9時半に唐津神社を出発し、12時からの御旅所曳込に到着するまでの間、途中で休憩をはさんで街の中を巡行されています。その途中でのスナップです。
d0049152_1955420.jpg
d0049152_1962664.jpg

[PR]
by nori_bura | 2014-12-03 11:30 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物㉑・江川町(唐津市)

江川町(えがわまち)は、唐津城下の17ヵ町の一つで、築城時は武士の居住する組屋敷でした。
d0049152_11442550.jpg
d0049152_11444829.jpg
d0049152_11451770.jpg
曳山は、青い龍の背に朱色の宝殿を載せて運んでいます。


白地の肉襦袢の背中には、曳山のモチーフの龍が描かれている。
3色の帯を巻いています。

長法被の背中には、「江」の字。
裾に3本線。
d0049152_11453724.jpg
d0049152_1146156.jpg

[PR]
by nori_bura | 2014-12-02 11:30 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物⑳・水主町(唐津市)

水主町は、かこまちと読みます。難読な町名です。
「水主」とはいわゆる水夫(船内労働者)のことで「水手」とも書かれます。
水主町は唐津藩初代藩主の寺沢志摩守が内町・外町の城下町々割りをおこなった際に、常備水軍の拠点として整備され「水主衆」を居住させたのが始まりとされています。
d0049152_0554262.jpg
d0049152_050933.jpg
d0049152_0511646.jpg
d0049152_0565086.jpg
d0049152_0571223.jpg
d0049152_0573371.jpg肉襦袢は紫地、背中には白抜きの「水」の字と波水紋様。水主町の頭文字の「水」の草書体です。
長法被は 久留米絣(木綿)で製織されています。
背中には「鯱」の文字。
左右非対称の格子模様は水主町の地図(道筋)を現しています。

水主町の大太鼓は、銘文から少なくとも350年以上前に作られた太鼓であり、現時点で九州最古の太鼓であります。
[PR]
by nori_bura | 2014-12-01 11:20 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物⑲・京町(唐津市)

d0049152_0263033.jpg
d0049152_0265977.jpg
d0049152_0275556.jpg
d0049152_0281847.jpg京町は、唐津城築城時の総町12カ町の一つで町人の町でした。
明治31年鉄道開通により、唐津一の繁華街・商店街として繁栄しました。

白地の肉襦袢の背中には珠取獅子が踊っています。

長法被の背中には大きく「京」の字、裾模様にも「京」の字があしらわれている。
[PR]
by nori_bura | 2014-11-30 11:20 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物⑱・米屋町(唐津市)

米屋町(こめやまち)は唐津城築城時の総町12ヵ町の一つで、町人の町でした。
d0049152_22541113.jpg
d0049152_22543626.jpg
d0049152_2255559.jpg
d0049152_22553685.jpg酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国の大江山、または京都との国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目の事。
『京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)により討伐隊が結成され、長徳元年(995年)に討伐に向かった。姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させたのち、頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という毒酒を酒盛りの最中に酒呑童子に飲ませ、体が動かなくなったところを押さえて、寝首を掻き成敗した。しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。』
d0049152_2256236.jpg
朱色の肉襦袢の背中にはは、しめ縄に御幣の下地の上に「米」の字。
長法被の背中の絵は、酒を飲んでいる怖い顔。酒呑童子のようです。
d0049152_2257251.jpg

[PR]
by nori_bura | 2014-11-29 11:15 |   唐津くんち2014

唐津くんち見物⑰・平野町(唐津市)

平野町は唐津城下17カ町の一つで、はじめ下級武士の住む武家地でしたが、後に職人たちが移住し町人町となりました。
先頭に「(懸かり)乱れ龍」の旗を持つ。戦いで全軍総攻撃のときに先頭に掲げて突撃したといわれています。
d0049152_11453768.jpg
白い肉襦袢の背には、赤色で上杉家の家紋「竹に(飛び)雀」、青で「平」の文字。
d0049152_11461382.jpg
d0049152_11464222.jpg
長法被の背中には毘沙門の「毘」の文字(田が左側に書かれている)。
この文字は「「毘」の御旗」に使われ、「(懸かり)乱れ龍」とともに戦場で使われました。
ハチマキには、「ヒ」の模様があしらわれ、謙信の兜・わ組 とデザインされています。
[PR]
by nori_bura | 2014-11-28 11:15 |   唐津くんち2014