タグ:梅・山茶花・椿 ( 31 ) タグの人気記事

梅満開の偕楽園へ④(水戸市)

偕楽橋から、本園方向を望む。撮り鉄さんが構えるポイントでした。
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田鶴鳴(たづなき)梅林。この場所は、偕楽園が造られた当初は水田でした。
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公園内で燈籠の展示がありました。




花追橋にて。

好文亭が見える。
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by nori_bura | 2015-04-04 12:00 | 旅行・茨城県

梅満開の偕楽園へ③(水戸市)

d0049152_11381867.jpg見晴広場では
イベント「水戸の梅まつり」が開かれていた。

水戸の梅大使と水戸市マスコットキャラクター「みとちゃん」と記念撮影会。
「みとちゃん」は、納豆をイメージしたかぶり物と梅のd0049152_11384369.jpg髪飾り、水戸黄門さまでおなじみの衣装、印籠を持っている。


野点茶会。


今も偕に楽しむ偕楽園です。

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水戸黄門様ご一行と撮影会。




見晴らしが良く、
千波湖・大噴水・偕楽橋を見下ろせました。
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田鶴鳴(たづなき)梅林と猩々(しょうじょう)梅林。
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仙奕台(せんえきだい)からの眺め。碁や将棋を楽しんだ場所です。
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by nori_bura | 2015-04-03 11:40 | 旅行・茨城県

梅満開の偕楽園へ②(水戸市)

偕楽園の中は梅林だけではありませんでした。
(左)孟宗竹林(京都男山の竹を移植したもの)  (右)吐玉泉
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(左)太郎杉(推定樹齢800年)         (右)笹の叢
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好文亭中門をくぐり好文亭へ。
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d0049152_11252535.jpg徳川斉昭自らが設計したもので、木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿から成る。

斉昭は、ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集めて詩歌や慰安会を催した。

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連休の混雑で、中には入らずです。
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by nori_bura | 2015-04-02 11:10 | 旅行・茨城県

梅満開の偕楽園へ(水戸市)

偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつです。
天保13年(1842)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭により造園。千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。
約13haの園内には約百品種・三千本の梅が植えられています。(3/22満開)
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東西梅林にて
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by nori_bura | 2015-04-01 10:40 | 旅行・茨城県

弘道館公園にて②(水戸市)

d0049152_13213254.jpg八卦堂
(はっけどう)
建学の精神の象徴である弘道館記碑を納めている。
藩校当時は、敷地の中央に位置していた。
軒に万物変化の相を示す易の算木を配している。
(昭和28年復元)
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梅林の向こうに見えるレトロな建物は三の丸庁舎(旧茨城県庁)。






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種梅記碑
斉昭自撰の名文「種梅記」が自筆の隷書で刻まれている。




d0049152_1324994.jpg学生警鐘
弘道館内の学生に時を告げたり、事あるときの知らせに用いた。
徳川斉昭(烈公)の自鋳のものといわれる。
鐘の内側には、斉昭の自著自筆で浮彫りされた鋳造の由来があり、花押が添えられている。
外側には、注連縄と八咫鏡(やたのかがみ)および勾玉を榊にかけて垂(しで)をつけた浮彫が施され、斉昭自筆の「物学ぶ人の為にと さやかにも 暁告ぐる鐘のこえかな」という和歌が万葉仮名で浮彫されている。
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by nori_bura | 2015-03-26 15:10 | 旅行・茨城県

弘道館公園にて(水戸市)

弘道館と塀を境にした公園があり、ここにも梅の木が多く植えられ満開でした。(3/21)
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孔子廟 弘道館建学の趣旨のひとつである「神儒一致」の教義にもとづいて、儒学の祖である孔子を祀るために建てられたもの。(昭和45年復元)
屋上に2種類の架空の動物(鬼犾頭・鬼龍子)の像を置いた特異なもので、孔子の生地(中国山東省曲阜市)の方向(西)を向いている。
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d0049152_138314.jpg↑ 鬼犾頭(きぎんとう)
龍頭魚尾で一種の鯱。
弘道館側からも見えて、とても目を引きました。

要石歌碑
徳川斉昭の自詠自筆。
「行末(いくすえ)も ふみなたがへそ蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ要なりける」
その大意は「日本古来の人倫の大道は、永久に変らないものであり、日本人はこの道を踏み違いするということがあってはならない」。
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by nori_bura | 2015-03-25 15:00 | 旅行・茨城県

特別史跡 弘道館②(水戸市)

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弘道館の建物を囲んで梅の木がたくさん植えられていて、丁度満開でした。(3/21)





梅林の中の井戸と。

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d0049152_22574872.jpg至善堂(しぜんどう)〔重要文化財〕
「人間は最高善に達し、かつその状態を維持することを理想とすべきである」という意味がこめられている。
藩主の休息所であり、また諸公子の勉学所であった。

サンシュユと。
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d0049152_22584324.jpg最後の将軍、徳川慶喜(七郎麿)も5歳から11歳までここで学んだ。
大政奉還後の明治元年(1868)、慶喜は水戸へ帰り、幼少時代を過ごした至善堂にこもり、静岡に移るまでの4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送った。

↑ 水戸の六名木「江南所無」   ↓ 「烈公梅
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by nori_bura | 2015-03-24 14:20 | 旅行・茨城県

當麻寺で(葛城市)

(左)東塔(国宝)奈良時代後期の建築と推定される。
(右)西塔(国宝)平安時代初期の建築と推定される。
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中之坊 庭園にて。東塔に隣接し、借景とする。
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帰り道。鈴なりの椿と古い土塀がありました。
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by nori_bura | 2014-04-18 13:50 | 奈良で寄り道

花の文化園へ(河内長野市)

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長年、近くの道路を通行していますが、中々ここに立ち寄る機会がありませんでした。

3月16日、梅の花が見頃になっていると知り、寄り道しました。


クリスマスローズガーデンも見頃でした。

他に、椿・サンシュユも咲いていた。
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d0049152_8473155.jpg2,500㎡の梅園には、約130品種300本が植えられている。

『コタツに入ってヌクヌク梅見物!』という企画で、コタツが置かれていました。

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by nori_bura | 2014-03-17 15:00 | 関西ぶらり(大阪)

観心寺(大阪府河内長野市)

実家に行く前に寄り道。小雨の後で花粉の影響が少し楽でした。
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d0049152_2224629.jpg奈良時代の大宝元年(701)に役行者によって開かれた寺。後に寺を訪れた弘法大師が如意輪観世音菩薩像を刻んで本尊とし、寺号を観心寺と改めた。
南北朝時代(1336~92年)には土豪楠木氏一族の本拠地として、また正平14年(1359年)からしばらくの間、後村上天皇の行在所のあったことでも知られている。
境内一円に約300本の梅の木があります。紅葉・桜の景色も美しく、花の寺として有名です。

河内長野市寺元475[地図]



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境内には他にも違う景色がありました。
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by nori_bura | 2008-03-20 22:16 | 関西ぶらり(大阪)