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吉野ヶ里遺跡にて③ (神埼市・吉野ヶ里町)

吉野ヶ里遺跡にて③ (神埼市・吉野ヶ里町)_d0049152_022790.jpg北内郭の北側はお墓のエリアでした。

甕棺墓列
甕棺[かめかん]とは、北部九州に特有の棺のこと。
大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、弥生時代中頃のおよそ200年の間、盛んに使われていた。
吉野ヶ里では、丘のいろいろな場所にまとまって埋葬されており、想定では15,000基を超える数が埋められていると考えられます。
丸く膨らんでいる所がお墓です。

吉野ヶ里遺跡にて③ (神埼市・吉野ヶ里町)_d0049152_01545100.jpg
墳丘墓の北側には、真ん中に道(お参りするための道であるとも、左右に埋められている人々の身分の違いを表すための区別の線とも考えられている)が設けられています。
吉野ヶ里遺跡にて③ (神埼市・吉野ヶ里町)_d0049152_025198.jpg立柱
祖先の霊が宿る柱と考えられており、シンボル的な役割を果たしていた。

墓道
(左手前の階段)
墳丘墓に眠る祖先の霊にお参りするために環壕の外からやってくる人々のために設けられた専用の道であると考えられている。

北墳丘墓
(奥手の台形の丘)
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられている。
人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造である。
中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもあった。
このお墓は、弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものであるが、その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として、人々から大切にされていた。




吉野ヶ里遺跡にて③ (神埼市・吉野ヶ里町)_d0049152_0402654.jpg
緑の台形の丘の下は、発掘状況の展示室になっています。
遺構面と甕棺は本物を展示されています。







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by nori_bura | 2011-07-17 23:49 | 旅行・佐賀県
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