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高野山散策メモ②

d0049152_12182424.jpg檀上伽藍
御影堂(みえどう)
もとは、お大師さまの持仏堂として建立されたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りd0049152_12221425.jpgで、堂内外陣にはお大師さまの十大弟子像が掲げられている。

このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった。
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金堂
高野山御開創当時は講堂と呼ばれていた。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。



d0049152_12282829.jpg准胝堂(じゅんていどう)
本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられている。
この准胝観音は、伽藍が建立された当時、食堂に安置せられていたと伝えられている。
その後、天禄4年(973年)頃になって、この堂が建立され、移動された。現在の堂は明治16年(1883年)再建のもの。
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六角経蔵
鳥羽法皇の皇后・美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵。
この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川(現在の那賀郡桃山町付近)の庄を寄進された事に由来して、荒川経とも呼ばれるようになり、別名「荒川経蔵」という。
現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建されたもの。
経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができる。
一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。
by nori_bura | 2011-09-14 12:08 | 関西ぶらり(和歌山)
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