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長崎さるく・丸山界隈

さるくとは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁です。
丸山方面に抜けようと選んだ道は、『丸山オランダ坂』という所でした。
東山手にあるオランダ坂よりも古く、ここが本家本元のオランダ坂と云われています。
丸山オランダ坂の名前の由来は2つ説があります。
(1)鎖国時代、出島オランダ屋敷の出入りを許されていた丸山遊女が、この坂道を通り、玉帯川(今の電車通り)の所から船で行き来していました。そこからオランダさん行きの遊女が通る坂ということでこう呼んだという説。
(2)明治時代、西洋料理店「福屋(今の中小島公園)」へ居留地の外国人(長崎ではすべてオランダさんと呼ぶ)が丸山の遊里を通らずに、この坂を通ったという説。

この細い階段と路地に、名前が付いているのも驚き。一歩入ると勾配があり、坂の町を実感です。
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d0049152_9483715.jpg坂道を上がりきると、料亭青柳がありました。壁一面のツタが印象的です。

丸山本通りと長崎検番(検番とは芸者置屋さんの管理事務所)。


料亭 花月はマンションの間にありました。
寛永19年(1642年)に創業した遊女屋引田屋(ひけたや)の庭園内に造られた茶屋で、明治初年大火で一部を焼失、名園花月の名を惜しんで旧引田屋遺構内に再建されました。
頼山陽は花月を「養花山館」と名付け、三ヶ月にわたって逗留したそうです。
「竜の間」の床柱には、坂本龍馬がつけた刀傷の跡が残っています。
なかにし礼著「長崎ぶらぶら節」の舞台となったところで、丸山芸者愛八と古賀十二郎の歌探しがここから始まります。
長崎ぶらぶら節の一節に「遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて丸山ぶーらぶら ぶらりぶらりというたもんだいちゅ」 と歌われており、当時の人気ぶりが分かります。江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場であったようです。昭和35年長崎県の史跡に指定されました。
しっぽく料理を食べに訪れてみたいです。
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レトロな建物の丸山町交番・丸山公園にある坂本龍馬の像。
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見返り柳(花街からの帰り道、男たちが未練を断ち切れず、振り返る姿から名付けられた。)・カステラの福砂屋本店。
by nori_bura | 2012-02-19 08:42 | 旅行・長崎県
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