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長崎さるく・山王神社へ

大学病院前電停からスタート。
詩人・福田須磨子宅跡
福田須磨子は23歳で被爆、自宅で両親と長姉を亡くしました。そのうえ衣類や食料まで何者かに盗まれることに。何もかも失い裏切られたという同じ日本人への怒り、避難するとき助けを求める叫び声を見捨てた自分への怒りと罪の意識。戦後数々の病に悩まされながらも創作活動を続け、昭和40年(1965年)「われなお生きてあり」で田村俊子賞を受賞。その後も「生きているだけでも原爆に対する抵抗だ」と病魔と闘い、52歳で死去した。
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この付近ははかつての路面電車のルート。原爆により付近を走行していた路面電車は大破し、乗客は座ったまま、乗務員はハンドルを握ったまま即死したそうです。
旧長崎医科大学附属医院付近の惨状
旧長崎医科大学附属医院は、爆心地から約400mに位置し、キャンパスとは約100mの谷を挟んで隣接していました。建物には迷彩を施し屋上には赤十字のマークが書かれていましたが、原爆に先立つ8月1日には米軍機の空襲を受け3名の死者を出しました。鉄筋コンクリート造り3階建ての建物は、爆風による倒壊を免れたものの内部は全焼、職員・学生892名、患者約200名が死亡しました。
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坂道を上がり、階段を上がり山王神社へ。2本の大クスが出迎えてくれます。
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山王神社の大クス(被爆クス)
山王神社は周辺を様々な樹木で囲まれており、その中で、この2本の大クスは神社境内入口にどっしりと根をおろしている。また、四方に伸びた2本の木の枝葉は、上部にいくにつれ複雑に絡み合いながら一つの深い緑陰をつくっている。
1945年(昭和20)8月9日、午前11時2分、原子爆弾の炸裂による強烈な熱線とすさまじい爆風のため、爆心地から南東約800mのこの神社の社殿は倒壊、隣接する社務所は全焼、そして、二の鳥居は片方の柱を失ってしまった。社殿を囲んでいた樹木は折損し、この2本の大クスも爆風により幹には大きな亀裂を生じ、枝葉が吹き飛ばされ丸裸となった。また、熱線により木肌を焼かれ、一時は枯死寸前を思わせたが、その後樹勢を盛りかえし、現在は長崎市の天然記念物に指定されている。
夏にはセミが鈴なりで泣くのが季節の風物詩。こずえを渡る風は、「日本の音百選」にも選ばれています。
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長崎さるく・山王神社へ_d0049152_124687.jpgこの2本のクスノキは、胸高幹囲が右が8.6m、左が6.6mで、市内にあるクスノキの巨樹の一つである。
ともに昭和20年(1945)の原爆で主幹の上部が折れたため、樹高は10m内外であるが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西は40m、南北25mの大樹冠を形成している。
現在治療中です。
by nori_bura | 2013-10-25 10:00 | 旅行・長崎県
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